2017年度研究集会報告

ご挨拶

 この冬は今年に入ってから大変厳しい寒さとなり、3月に入ってなお雪の影響が油断できない状況ですが、会員の皆様にはお元気でお過ごしでしょうか。
 中国近世語学会2017年度研究集会は、12月9日(土)、関西大学東京センターで開催され、40人近くが参加しました。
 今回の研究集会も、個人研究発表と小特集の二本立てで開催することができました。いずれの発表も充実した内容で、質疑応答と議論も活発に行われました。特に小特集は、若い研究者2人による意欲的な発表で、これからの研究に大いに期待したいと思います。
 小特集のテーマ設定は、日ごろの研究への取り組みがなければ成し得ないことです。毎年、興味深いテーマを発案してくださる会員の皆様に、深く感謝申し上げます。
 今年度のニューズレター第2号をお届けいたします。発行が遅れましたことを、お詫び申し上げます。

中国近世語学会
会長 内田慶市
2018年3月2日

2017年度中国近世語学会研究総会報告
日時:2017年12月9日(土)13:00〜17:00
場所:関西大学東京センター
参加者数:約40人

個人研究発表報告
1.「『醒世姻縁伝』の“V+的/得+去了”の“的”について」
王姝茵(熊本大学大学院)

 本発表は《醒世姻縁傳》の“V+的/得+去了”の“的;得”を検討する。《醒世姻縁傳》中に“V+的/得+去了”の文型は59例あり、明清白話小説の中で一番多い。この文型の中の「去了」は「行った/帰っていった」という意味なので、“V+的/得+去了”は常に“连动”或いは“兼语”の文型となる。この文型で二つの動詞の間に挟まれる“的;得”は、52例が現代漢語の動態助詞の“了”、“着” のように、完了及び持続を表す。先行研究と筆者の統計によると、近世早期、完了と持続を表す“的;得”の用例が出るが、“V+的/得+去了”の文型の中で使われず、用例の数も多くない。《金瓶梅詞話》から、特に《醒世姻縁傳》で、“V+的/得+去了”という文型が明らかに増えた。同時に、完了及び持続を表す“的;得”の用例も多くなった。一方、“的;得”は動態助詞として多く用いられるが、清代中期になってから、“了”、“着”に代替されることが分かった。その変化は清代北方官話とする北京話の普及につれて発生していると思われる。そして、現代普通話に至っている。これに対して、北京話の影響を弱く受ける地域の方言では、完了と持続を表す“的;得”は近世から現代まで間断なく使われている。
 発表時、明代の小説の中の北京語の特徴についてのデータを統計する目的は何かと質問されたが、筆者は、清の小説が北京語の影響を受ける程度を明らかにするため、資料間比較を行うため統計すると答えた。

2.「18−19 世紀西洋人による中国語研究と結果補語構文 −ウァロ、プレマールからエドキンスまで−」
千葉謙悟(中央大学)

 英国人宣教師Joseph Edkinsはその画期的な中国語文法書A Grammar of the Chinese Colloquial Language (1857)において、現代でいうところの結果補語の定義にほぼ成功している。本発表ではエドキンスの結果補語についての記述そのものを分析するとともに、エドキンスに至るまでの西洋人による中国語研究を検討した。まず、18世紀のプレマールから19世紀前半のレミュザに至る中国語研究がエドキンスの発見に至る一つの系譜をなしていたことが明らかとなった。この系譜からはヨーロッパの文法体系にこだわりすぎない分析態度と、それに基づく動詞分類とがエドキンスにもたらされた。次いで、本発表ではエドキンスに繋がるもう一つの道筋として1840年代のギュッツラフからバザンへ至るルートがあったことを示した。この流れにおいては中国語における字と語の峻別が強調され、それがエドキンスによる複合動詞の分析へとつながったことを指摘した。さらに、本発表ではエドキンスによる結果補語の発見は実は官話の研究からではなく、それに先立つ上海語研究(A Grammar of Colloquial Chinese, 1853)においてすでにその基盤が築かれていたという事実をも発見した。

3.「『一百條』から『清文指要』へ−套話排列と套話内容の対照から−」
竹越 孝(神戸市外国語大学)

 『一百條』は全100話からなる満洲語の会話書で、現存の刊本は1750年刊とされる。『清文指要』はそれを満漢対訳形式に改編したもので、書肆不明刊本、1789年雙峯閣刊本、1809年三槐堂重刊本、同年大酉堂重刊本、及び1818年西安将軍署校正重刊本等がある。この系統はその後、蒙漢対訳版『初學指南』(1794)や満蒙漢対訳版『三合語録』(1829)へと発展し、更にはその中国語部分がトマス・ウェイドの『語言自邇集』(1867)に取り入れられるなど、多言語教材として興味深い変遷をたどっている。本発表では、その最初の段階に位置する『一百條』と『清文指要』の関係に焦点を絞り、この両書を比較対照することによって、『清文指要』の成立過程と諸版本間の継承関係を考察した。
 套話排列の対照からは、『清文指要』の編者に満洲語学習に関する話題を巻首に置こうとする意図があったことが窺われ、套話内容の対照からは、『清文指要』の編者に満洲旗人として都合の悪い記述を削除し、漢詩文的な修辞感覚で潤色しようとする意図があったと思われる。版本の面では、雙峯閣本の系統にわずかな修正を加えて重刊したものが三槐堂本・大酉堂本の系統であり、『新刊清文指要』は雙峯閣本の系統に拠りつつ、『一百條』を参照しながら『清文指要』に大幅な改訂を施したものと考えて矛盾はない。

小特集「満洲ピジン語」
中谷鹿二の著作に見られるピジン中国語の分析
萩原 亮(神戸市外国語大学大学院)

 本発表では、「満州ピジン語」の2つの資料である、中谷鹿二の満州日日新聞連載コラム「正しき支那語の話し方と日支合辦語の解剖」(1925年)と小冊子『日支合辦語から正しき支那語へ』(1926年)の中に見られるピジン中国語を分析し、その構造と特徴について考察した。
 まず中谷鹿二と対象となる資料について概略を紹介し、二つの著作の中に見られる語彙を品詞及び来源に基づいて分類するとともに、所収のフレーズ・例文については構文ごとに整理した。分析の結果として、中国語由来の語彙は実詞が多く、日本語由来のものには虚詞が見られること、また語順の面では日本語の語順に依存する文が多く見られることを指摘した。一般に、言語接触において相互に関係する言語が果たす役割のうち、語彙を提供する言語は上層(superstratum)、語順の依存が考えられるのは基層(substratum)とされることから、満州ピジン語における上層は中国語、基層は日本語であると考えることができる。
 最後に余論として、今回取り上げた満州ピジン語と、同じく近代中国において発生した「中国沿岸ピジン」、「キャフタ貿易言語」には、一人称所有格の代名詞が主格として用いられるという共通点を持つことを述べた。これは多くのピジン・クレオールが目的格を主格として用いることを考えると興味深い問題である。なぜこのような共通点を持つか、発表後に頂いたご指摘のように、音韻的アプローチも視野に入れて今後の課題としたい。

中谷鹿二の「日支合辦語」について −言語接触の観点から−
四宮 愛子(関西大学大学院)

 1894年の日清戦争頃から1945年の日本の敗戦頃にかけて、日本語と中国語の混合した表現が中国大陸において生成され、日本人と中国人との間で使用された。中国語の専門家である中谷鹿二は、これらの表現を「日支合辦語」と命名し、一貫して撲滅すべき言葉であると主張した。そして、1926年に大連滿書堂書店より「日支合辦語」を正則の中国語に訂正することを目的に『日支合辦語から正しき支那語へ』を出版するが、この小冊子は結果的に「日支合辦語」を体系的にまとめた文献資料になっている。
本論は、この小冊子をもとに、日本語と中国語の接触言語である「日支合辦語」を言語的特徴と社会的機能の二つの側面から分析及び考察したものである。
「日支合辦語」は、言語的特徴においては「限定ピジン」の段階、社会的機能においては「ジャーゴン」の段階に位置していたと評価できる。そして、こうした言語的機能と社会的機能の間の齟齬は、日本人と中国人の「日支合辦語」に対する捉え方に起因する。日本人は「日支合辦語」を中国人と接する際に用いる言語、コミュニケーション手段として使用した。他方、中国人は「日支合辦語」を「日本人が話す言葉」として捉え、日本人と対応する際のフォリナートークとして利用した。


2018年度中国近世語学会研究総会開催のお知らせ

 2018年度の研究総会を、以下のとおり開催いたします。

日時:5月26日(土)10時半から17時まで(予定)
場所:関西大学千里山キャンパス(予定)
内容:個人研究発表など

 
 個人研究発表者を募集いたします。4月10日までに、近世語学会事務局にご連絡ください。

2017年度会費納入のお願い

 年会費(5000円、ただし院生及び学部生は3000円)をまだ納入しておられない会員の方は、下記の郵便振替にてお納めください。財政が逼迫しておりますので、お忘れなきようお願い申し上げます。

郵便振替 口座番号:00980-6-119965 口座名称:中国近世語学会

中国近世語学会事務局

関西大学 外国語学部 内田慶市研究室
〒564-8680大阪府吹田市山手町3−3−35
Tel: 06-6368-0431

ホームページ: kinseigo.chu.jp