2014年度研究総会のご案内

ご挨拶

 五月に入り、昼間でこそ「夏」を感じさせるものの、朝夕はまだ肌寒さを覚える時候となっておりが、会員諸氏にはご清祥のこととお喜び申し上げます。
 本年度も中国近世語学会研究総会を催す時期となりましたので、下記の要領で本年度の研究総会を開催したく存じます。
 プログラムにありますように、発表者は若手研究者が中心となっております。ある組織に将来性があり、その活動が活気づくのは、若い層が元気且つ活発であってこそ。今後も若手の活躍が望まれます。
 会員諸氏の積極的な参加と活発な議論をお願いいたします。
 なお、会場は「愛知大学笹島キャンパス」です。従来よく使わせていただいていた「愛知大学車道キャンパス」ではございませんので、ご注意ください。

2014年5月2日会長 佐藤晴彦

日時:6月7日(土)10時30分より
場所:愛知大学名古屋(ささしま)キャンパス
名古屋駅より徒歩約10分。あおなみ線「ささしまライブ」駅下車、近鉄「米野」駅下車、徒歩約5分。名鉄バス「愛知大学前」下車。
aichisasashima

プログラム

午前の部 10:30〜12:00
研究発表

1)発表者:川下崇(首都大学東京大学院)
題目:「『旧本老乞大』における語気助詞について」
要旨:
 本発表では、古く朝鮮で用いられた漢語課本『旧本老乞大』を取り上げ、そこに見られる語気助詞「者、呵、裏、麽、那、了、也、也者」等を、先行研究を踏まえながら考察する。
『旧本老乞大』は会話形式でストーリーが展開する漢語課本であり、全百六話である。そして第八十五話から第九十五話は、会話形式でない文章で書かれている。非会話形式の部分の異質性は先行研究でも指摘されており、後から挿入されたとも言われている。では会話形式の部分と非会話形式の部分とで、語気助詞の用例に違いは見られるのであろうか。
先ず、「呵」の句中での用例を挙げたい。会話形式部分において「呵」は、連詞「既」や「若」、「不爭」、「偏」を伴う用例が見られるけれども、非会話形式部分の用例は、連詞として「若」を伴うか或いは単独の形式である。
また、「那」については非会話形式部分では、「若不救呵、傍人不唾罵那甚麽?」という文で1例のみ見られる。
これら用例の現れ方の違いは何に依るものなのであろうか。本発表では、これら会話形式部分と非会話形式部分との語気助詞の用例の違いを、改訂以降の『老乞大』の版本との比較を含めて考察を試みたい。

2)発表者:氷野歩(関西大学)
題目:「ハーバード大学燕京図書館所蔵『問答篇』について」
要旨:
 ハーバード大学燕京図書館にトーマス・ウェイドによる『問答篇』(1860)が所蔵されている。管見の限りこの版本に言及した先行研究は見られないが、全頁にわたって非常に多くの書き込みが残されている。これらの書き込みの内容と『語言自邇集』初版の「談論篇百章」を対照した結果、その多くが『語言自邇集』と一致することがわかった。そこで本報告では燕京図書館蔵版『問答篇』の内容を、主に①『語言自邇集』初版と一致するもの、②『問答篇』と一致する(つまり書き換えられていない)もの、③『語言自邇集』・『問答篇』の表現が混ざっているもの、④『語言自邇集』・『問答篇』のいずれとも異なるものの4種に分類し、それぞれ分析するとともに、燕京図書館蔵版『問答篇』の書き込みを手がかりに、『問答篇』や『語言自邇集』の当時の利用状況および『語言自邇集』の成書過程についての考察を試みる。

午後の部 13:00〜16:00
研究発表

3)発表者:稲垣智恵(関西大学)
題目:「『新興語法としての“着”―日本語からの翻訳を中心に』」
要旨:
 近代,特に20世紀以降助詞“着”は以下の特徴を持つようになったと考えられる。
1.状態性の強い動詞の後ろに置かれる。
2.目的語は抽象的なものであることが多い。
3. “着”を付けなくても意味上大きな違いがなく、文章が成立する。
4. “一直”と置き換えることが可能な場合が多い。
 これらの用法は,早い時期では王力によって「西洋語に根拠が無い変質的欧化」とされたが,初期の白話文法書などでは英語の“-ing”などと関連して述べられることが多い。
また,特に先行研究では“有着”の用法に関して英語や方言の影響という観点で述べられているが,こうした20世紀以降の“着”がいつ頃,どういった影響で現れたか,何を表すかについては未だ具体的な研究は少なく,特に日本語からの影響という観点ではほぼ研究がなされていない。本研究では,20世紀初頭の日本語からの翻訳に見られる“着”の用法について,具体的用例を上げながら述べ,新興語法としての“着”の研究の足がかりとしたい。

4)発表者:竹越孝(神戸市外国語大学)
題目:「助詞“是呢”について」
要旨:
 清代に刊行された満漢合璧会話書類の中国語部分には、“是呢”という文末助詞がよく見られる。同時期の小説や他分野の教科書類ではほとんど使用されておらず、この助詞が太田辰夫氏による一連の清代北京語研究や文末助詞の通時的研究において取り上げられることはなかったようである。“是呢”は、初期の満漢合璧会話書の中で話者の婉曲な願望を表す満洲語の終止形語尾 -cinaに対応する訳語として用いられることが多いが、後代のテキストでは“是呢”が削除されたり“罷”や“罷咧”などに書き換えられたりしており、この助詞があまり長い生命力を持たなかったことを示唆している。
 本発表では、“是呢”の来源と清代の諸テキストに見られる消長の過程について検討し、この助詞が現代語にまで受け継がれなかった原因について考えてみたい。

総会

※同封のハガキにて、6月2日頃までに、出欠をお知らせください。
※発表者の方へ・・・レジュメは各自でご用意のほどよろしくお願いいたします。
※同封の振込用紙にて年会費(3000円)をお納めください。