2009年度秋季研究集会報告

2010年という新しい年を迎えました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
  昨年暮れ、12月6日に「近世語学会秋季研究集会」が大東文化大学信濃町キャンパスで開催されました。今回の開催につきましても、大島吉郎会員のご協力を得ました。この場お借りし、大島会員にお礼を申し上げたいと思います。
  師走の慌ただしい中で開催されました研究集会でしたが、15名の会員の参加を得られ、活発な討議が行われ、いろいろな面で刺激を得ることができました。発表内容の詳細につきましては、発表者の方々に要旨を書いていただいておりますので、そちらをご覧ください。
  また、本年度の近世語学会研究総会は6月6日(日)を予定しております。例年通り、塩山正純会員のご協力により、愛知大学車道キャンパスで開催される予定ですので、会員の皆様には、積極的に口頭発表へのノミネート及び総会参加をお願いしたいと思います。
(中国近世語学会会長 佐藤 晴彦)

※発表者及び題目と要旨
“的”論と白話運動
稲垣智恵(関西大学大学院)
  今回の報告では,白話運動のさなか中国『晨報』上で行われた,助詞“的”をどのよう に理解し書き分けるかといった議論から,中国語が形容詞化接尾辞を手に入れる必要性を感じ,それを手に入れようとするいち過程をみ た。この議論では形容詞化の接尾辞を如何に表すかといったことも議論され,一旦は近代日本で生まれた形容詞化接尾辞「的」を,中 国においても同じく形容詞化接尾辞として使用し,“理想的公园”“理想底公园”のように形容詞表現と名詞表現の違いを出すべきである とされた。しかしこの方法は長く続かず,“底”という表現は消え,“的”も殆ど語と語の関係を表す助詞としての役割しか果たさなく なった。中国語は形容詞化の接尾辞を手に入れることに成功しなかったのである。その理由としては,中国語文法に 対する理解の深化もあるが,当時決められたこれらの“的”用法が全て同音であったことなどから日本語の「的」と助詞“的”を 混同したことが考えられる。

《衍绪草堂笔记》中的语法分析情况考察』
海晓芳(関西大学大学院)
  中国汉语学界一般认为汉语语法学的创立是以《马氏文通》为标志的,在此之前中国人自己对汉语的研究主要表现为传统的小学即文字、音韵和训诂学,虽然这些研究反映出了人们对于语言问题的一些认识和看法,其中所使用的一些术语也对后来的汉语语法研究产生了很大的影响,但是这些都不是真正意义上的语法研究,汉语学界公认中国人真正的汉语语法研究是以《马氏文通》为开端的。然而,学者何群雄在其《中国语文法学事始》(三元社,2002)一书中指出,在《马氏文通》之前,已经有一本由中国学者编写,有关汉语语法问题的先驱性的著述存在了,即毕华珍所著的《衍绪草堂笔记》,但是何氏没有见过原书,只是通过传教士艾约瑟的《上海话语法》中对毕氏的《衍绪草堂笔记》所作的介绍,获得了一些信息。此书后来由内田庆市教授在澳大利亚国立图书馆的馆藏图书中发现,因此我们今天有幸看到此书的内容,并且能够了解到一些《马氏文通》之前中国人对汉语语法现象的认识情况和对汉语语法问题的分析方法。
  本文即以毕华珍的《衍绪草堂笔记》为材料,对其语法分析方法进行一些初步的探讨。毕氏在《衍绪草堂笔记》中所分析的语言对象是汉语文言,为其划分了词类,并对这些词类的用法进行了举例说明和具体分析,在其分析中,我们不但可以看出毕氏汉语词类划分的观点,还能在其叙述中找出一些作者朦胧的汉语语法分析的方法。
  本文的主要内容包括:作者毕华珍及《衍绪草堂笔记》内容简介,毕氏的汉语词类划分及小类划分情况,词法及句法层面上的分析方法,所使用的语法术语与前人的继承关系等。

『水滸伝』に見られる兼語をともなわない使役表現について
今村圭(筑波大学大学院)
  現代漢語(“普通话”)で使役を表す場合、 “V(使役動詞)+O(兼語)+VP(動詞フレーズ)”の形式が使われている。このような形式は兼語式と呼ばれ、吕叔湘1980《现代汉语八百词》にあるように、必ず兼語をともなうとされている。『水滸伝』でも使役を表す場合には、同様に兼語式の形が用いられ、使役動詞としては“教”や “叫”が最も一般的に用いられている。しかし、現代漢語とは異なり、『水滸伝』には兼語がない“教(叫)+VP”の形式で使役を表す場合が多く見られる。本発表では、『水滸伝』に見られる“教(叫)+VP”形式を分析し、兼語式との間に使い分けがあるかどうか考察を試みた。
  考察としては、どちらの形式にも存在しているVPを比較することにより、両形式に相違点が見られることを主張した。

『官話指南』の多様性と来歴
氷野善寛(関西大学ICIS,COE-DAC)
 『官話指南』は日本人や欧米人に使用されてきた北京語学習の教科書である。また上海語や広東語など多くの方言に翻訳されている。この外国人にとっての北京語教材は20世紀初頭の中国人にとっては、「北京語」あるいは「国語」教科書としての一面を持っており、1918年前後に『教科適用訂正官話指南』『訂正官話指南』『改良民国官話指南』といった中国人向けの『官話指南』が出版された。この国語教科書として出版された『官話指南』についてその資料的価値に言及し、国語教科書として利用された理由について、『改訂官話指南』で削除された「應對須知」の来歴を探ることから考察を加えた。結果「應對須知」の一部分が『正音撮要』「問答」の内容と酷似しており、「正音」教材の流れを持つ可能性があり、このことが国語教育に利用される一因であると指摘し、また『改訂官話指南』における該当箇所の削除理由の一つとして考えられると指摘した。
  このことから、19世紀後半に影響力のあった教材である『語言自邇集』と『官話指南』はそれぞれ、旗人が漢語あるいは満州語を勉強するために編まれた「清文」系テキストの流れと正音教育に利用された「正音」系テキストの流れを持つことが分かった。1900年代以降、国語教育において『官話指南』が中国人に利用され受け入れられたことも、単に最近の北京語で書かれているという理由だけでなく、その教材の「問答」が持つこれらの性格があってこそかもしれない。