2013年度研究集会のご案内

ご挨拶

 酷暑も過ぎ、ようやく秋らしさが感じられるようになりましたが、会員の皆様は如何お過ごしでしょうか。本年も下記の要領で研究集会を開催したく思います。
 安倍総理は、「対話の窓口は常に開かれている。」としながらも、アジア、中東、ロシアを駆け巡る外交を展開しており、日中関係は全く先が見えない闇の中という情況。せめて何とか対話実現を目指してほしいと願わざるを得ない。
 日中関係は芳しくありませんが、わたしたちの研究活動はその沈滞ムードを打ち破るべく、さらに活発におしすすめたいと思います。幸い今回の研究集会は、将来を担う若手研究者が中心となっています。若いエネルギーにこの上ない期待を寄せたいと思います。
中国近世語学会 会長 佐藤晴彦 2013年11月5日

日時・場所

日時:2013年12月7日(土)午前10時半より
場所:愛知大学東京事務所
愛知大学東京事務所  銀座線虎ノ門駅直結〔11〕より徒歩2分
東京都千代田区霞が関3-2-1 霞が関コモンゲート西館37階

プログラム及び要旨

研究発表:午前の部


1) 陳小珍(大東文化大学・院)(10:30~11:15)
「五臣注『文選』における「濁音清化」について」

 「濁音清化」は漢語音韻史において普遍的で非常に重要な現象である。本論は唐玄宗時代(718年)の五臣(呂延済•劉良•張銑•呂向•李周翰)が『文選』につけた音注を研究対象とし、音注に見える濁音と清音の混同の例をすべて探し出し、「濁音清化」の傾向とその比率を分析し、「濁音清化」の進展を解明したい。また、濁音の摩擦音、破裂音、破擦音のうちどれが先に清音化し、清音化後の子音は有気音に属すのか、無気音に属すのか、あるいは平声字は有気音に、仄声字は無気音に属すか否かなどの問題を検討したい。ひいては五臣音注にある「濁音清化」が漢語音韻史における発展段階とその歴史的な位置付けを明確にしたい。


2) 藤本健一(大東文化大学・院)(11:15~12:00)
「近代日中訳『法の精神』の法律語について」

 モンテスキューのThe Spirit of the Law は明治初期に何禮之が『萬法精理』と和訳し、1875年(明治八年)に刊行され広く読まれた。その約30年後に中国文人の厳復も同書を漢訳し、《法意》(1904-1909年)と題した。翻訳書を介してモンテスキューの思想は日中両国に広まり、近代政治法律制度の浸透に貢献した。
中国においては西洋法学文献の漢訳は主に在華宣教師らによって担われてきたが、厳復の翻訳は中国文人による法学文献翻訳の先駆的な役割を果たした。厳復の訳語はそれ以前の翻訳語と時代を画す意味合いを持っている。
厳復は東洋経由の「西学」を疑問視していたため、《法意》の訳語に和製漢語が含まれていないと考えられる。しかし、《法意》が刊行される前年に張相文・程炳煕がすでに何訳『萬法精理』の重訳である《萬法精理》を出版していたので、このことを考え合わせると厳訳《法意》にも和製漢語が量の多少にかかわらず使用されている可能性は十分にあるだろう。また、《萬法精理》の重訳に際し、張・程が何訳の法律語に修正を加えたかも注目していきたい。そらに、厳訳の法律語の来歴と何訳の法律語との関連性も考察する。

研究発表:午後の部

3) 千葉謙悟(中央大学)(13:30~14:15)
『漢音集字』(1899)と近代湖北方言

 本稿ではJames Addison Ingle(漢名は殷徳生)の『漢音集字』(1899)をとりあげる。『漢音集字』はジャイルズ式を基本とするローマ字標音と(ジャイルズによる漢字番号も付してある)、当時の湖北方言に存在したと思われる5つの声調ごとに漢字を配列したものである。
 本稿の目的は、『漢音集字』に反映する音系を分析して19世紀最末期の湖北方言の様相を明らかにするとともに、『漢音集字』の資料上の位置づけにも触れる。
 まず音系に関して、『漢音集字』は基本的に漢口方言を反映するものと思われるが、『湖北方言調査報告』(1948、ただし漢口の調査年は1936)ではすでに見られなくなっているいくつかの特徴を見いだすことができる。例えば通摂入声だけではなく遇摂の一部にも韻母-oŋを持つものがあったり、果摂疑母字に合口の音節が出現したりする点である。また、中古で入声に属する音節でありながらも陽平に配されているものが少なくないことから、入声が消失過程にあったことがうかがえる。
 次いで『漢音集字』は19世紀中葉の『三字経』と20世紀前半の『湖北方言調査報告』との間に位置する湖北方言の言語資料といえることを指摘する。本稿は約150年間にわたる湖北方言音韻史をより詳細に再構するための基礎作業である。

4) 干野真一(新潟大学)(14:15~15:00)
介詞“由”について―『社会小説北京』の考察から―

介詞研究にあたっては、一介詞の意味的な拡がり及び類義語間の使い分けについて、この2つの事がらを、通時的・地域的な視座をも踏まえて、検証する必要があると考える。
本報告では介詞“由”を取り上げ、特徴的なふるまいとその関連事象について考察する。
主な語料として『社会小説北京』(1924年刊)を用いる。『北京』では起点を表す介詞として“由”がきわめて多く用いられ、その上、他の類義語の介詞は殆ど見られない。この点は太田辰夫先生による指摘があるものの「“由”が北京語である」とは言及せず、別稿では「南京官話では“從”“由”などを用いる」といった記載も見られる。北京語の辞書類でも“由”を記載するものは見られない。しかし一方で、介詞“由”を北京語として扱っている報告(周一民、『漢語方言詞彙』等)もあり、さらに南方の地域での“由”の優勢を示す報告も見られる。
以上から、『北京』における介詞“由”の使用状況をまとめ、さらに清代および現代の資料における、その起点類の介詞の類義語(且、打、从、自、など)との使い分けを併せて考察する。

情報交換・近況報告 (15:00〜15:30)

*発表者の方へ
レジュメは各自でご用意お願いいたします。