2015年度研究集会のご案内

ご挨拶

 11月に入り木々もようやく色づいて参りましたが、紅葉には今少し間があるうようです。会員の皆様には益々お元気で研究にいそしんでおられることと思います。
 さて恒例の秋季研究大会を下記の要領で開催致しますので、どうか奮ってご参加いただきますようお願い申し上げます。
 先だっての中国語学会では太田文法をめぐってのワークショップが開かれ太田文法の再発見と今後の展望が話し合われましたが、まさに本学会こそが主体的に取り組むべき課題の一つだと考えております。もちろん、太田文法に止まらず、近世語の解明すべき問題は山積しており、また新しい資料も陸続と発見されています。まさに本学会が果たすべき役割は大きいものがありますが、大会は研究発表のみならず、情報交換の場としても活用していただきたいと願っております

中国近世語学会 会長 内田慶市 2015年11月5日

日時・場所

日時:12月12日(土) 午前10時より
場所:愛知大学東京事務所
愛知大学東京事務所  銀座線虎ノ門駅直結〔11〕より徒歩2分
東京都千代田区霞が関3-2-1 霞が関コモンゲート西館37階

プログラム及び要旨

個人研究発表


1) 氷野 善寛(関西大学(非))(10:00~10:45)
19〜20世紀の中国語教育史を研究するための資料
——鱒沢彰夫氏寄贈関連と処の目録編纂作業とその特徴

 2015年、中国語教育史を研究している鱒澤彰夫氏からアジア文化研究センターに 10000冊を超える中国語教育に関係する原資料や研究書を寄贈いただいた。この寄贈書の中には明治の外交官深澤進が編集した会話書『北京官話全編』、九江書會が刊行した『官話指南』、小田切万寿之助が所蔵した『亜細亜言語集』、川崎近義の墓誌銘の原拓など明治期の中国語教育史や中国語研究を進める上で非常に貴重な原資料が数多く含まれる。また中国語教育だけではなく、戦前の日本語教育をはじめ、他の言語教育に関する資料も非常に充実している。本報告ではこの寄贈書の全体像を俯瞰し、今後中国語教育史、中国語研究を進めていく上で重要となる資料について特に紹介する。


2) 落合 守和(首都大学東京) (10:45~11:30)
清末供詞の言語について

 報告者は,1999年以来,北京の中国第一歴史档案館(故宮西華門内)に所蔵される档案に見られる裁判供述について抄写の作業を重ねている。そのうち,刑部档案(1999-2008抄写)と順天府档案(2008-2015抄写)に見られる裁判供述の一部については,その初歩調査の結果を報告したことがある。
 ここでは、第一歴史档案館の「档案信息化」の現状(2015年9月現在)を紹介しつつ,清代北京語資料として、中央・地方の裁判供述を利用することの可能性を検討したい(cf.太田辰夫1950)。

稲垣 智恵(関西大学(非)) (13:00〜13:45)
新興語法としての“着”——19世紀以前の用法と比較して

 現代中国語のアスペクト助詞“着”は一般的に“吃”“看”“说”など動作性の強い動詞と付着して用いられることが多く,“喜欢”“担心”“嫉妒”“觉得”のような心理活動を表す動詞や、“在”“存在”などの存在を表す動詞、“是”“属于”などのような属性を表す動詞といった状態性の動詞には付着することが難しいとされる。しかし20世紀以降,状態性の動詞に“着”が付着する用例が増加した。このような「新興語法」としての“着”の用例について,先行研究では外国語の影響を受けた構造であると考えるものが多い。だが、実際にどの言語のどういった構造の影響を受けたものなのかに関しては、まだ定説はないと言っていい。 
 本稿では、こうした“着”の用法が近現代どのように変遷したのか、またその変遷に外国語が影響していたのかどうか、していたとすれば、どういった構造が影響していたのかに関する研究の一環として、《儒林外史》中の“着”の用法と、20世紀初頭の中国語作品や中国語翻訳作品における“着”の用法を比較分析する。

蔡 娟(大東文化大学(非)) (13:45~14:30)
《朱子語類》における「V+將+C」方向式と「V+得+C」方向式

 南宋の理学家語録である《朱子語類》には、方向補語構造に述語動詞Vと方向補語Cの間に、文法標識“將”・“得”が挿入されている「V+將+C」方向式と「V+得+C」方向式が見られ、意味上、“將”・“得”が挿入されていない「V+C」方向式とほとんど変わらない。例えば、

(1)後人讀詩,便要去捉將志來,以至束縛之。(卷一百一十七,2813頁)
(2)也不問在這裏不在這裏,也不說要如何頓段做工夫,只自脚下便做將去。(卷一百一十三,2744頁)
(3)劉原父才思極多,湧將出來,每作文,多法古,絕相似。(卷一百三十九,3313頁)
(4)若是心在上面底人,說得話來自别,自相湊合。(卷一百一十四,2755頁)
(5)只從外面見得些皮膚,便說我已會得,筆下便寫得去,自然無暇去講究那精微。(卷九十七,2493頁)
(6)大凡事理,若是自去尋討得出來,直是别。(卷一百二十,2883頁)

 本発表では、《朱子語類》に見られる「V+將+C」方向式と「V+得+C」方向式を取り上げ、具体的な用例をあげながら、両構造の使用頻度および構文上、意味上の特徴を考察した上で、両構造の相違点をまとめる。また、「V+將+C」方向式と「V+得+C」方向式はともに宋・元・明代における特別な方向補語構造であるが、現代中国語の“普通话”では受け継がれておらず、長い生命力を持たなかったことを示唆している。両構造はなぜ徐々に使用されなくなったかについて分析してみたい。

陳 暁(神戸市外国語大学(外国人特別研究員)・南開大学) (14:50~15:35)
清朝後期の副詞「挺」について

 中国語の「挺」には、古代漢語から現代漢語まで、動詞や形容詞など様々な用法がある。そのうち、北京語の「挺」は清朝後期から副詞としての用法が見られる。北京語で副詞「挺」が使われ始めた時代に関してはいくつかの研究がなされており、18世紀中葉や19世紀中葉など異なった見解が出されている。この点に関し本研究では、北京語を反映した清朝の白話小説や戯曲、清朝後期の西洋人が編んだ中国語教科書、日本明治時代の中国語教科書や正音資料を用い、副詞「挺」の現れた時代は19世紀30年代頃と推測し、先行研究と異なった見解を提出する。
 また、副詞「挺」の由来についても考察し、音声面では、文献と古代の韻書より、「挺」は「頂」の転音ではないかと推測される。そして、副詞「挺」は形容詞「挺」から文法化(grammaticalization)を経て形成されたもので、文法化する過程で文法構造(grammatical position)とメタファー(metaphor)が副詞への変化を促したと主張する。

情報交換・近況報告 (15:00〜15:30)

*発表者の方へ
レジュメは各自でご用意お願いいたします。