2014年度研究集会のご案内

ご挨拶

 11月を迎え、朝夕がめっきり涼しくなってまいりましたが、会員の皆様にはご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて本年も研究集会を開催する時期が近付いてまいりましたので、下記の要領で本年度の研究集会を開催いたします。
2011年の研究集会では竹越孝会員のご提案により、「官話の虚像と実像」というテーマでワークショップをもち、好評を博しました。本年度は、竹越孝、奥村佳代子、塩山正純、千葉謙悟の4会員の企画により、「官話音研究の資料と問題点」というテーマでワークショップをもちたく存じます。会員諸氏にはふるってご参加いただき、個人研究発表ともども、活発な議論をお願いしたします。
 また、内田慶市会員、玄幸子会員のご尽力により、2015年6月の研究総会では、中国の近代漢語研究界を代表する蒋紹愚先生(北京大学・清華大学教授)をお招きすることができる見込みとなりました。例年以上の充実した総会にしていきたいと思います。

中国近世語学会 会長 佐藤晴彦 2014年11月12日

日時・場所

日時:12月13日(土)午前10時より
場所:愛知大学東京事務所
愛知大学東京事務所  銀座線虎ノ門駅直結〔11〕より徒歩2分
東京都千代田区霞が関3-2-1 霞が関コモンゲート西館37階

プログラム及び要旨

個人研究発表


1) 劉淼(首都大学東京・院) (10:00~10:45)
「明清白話小説に見られる助詞「子(仔)」について」

 明清の白話小説(例えば、『醒世姻縁伝』や『型世言』など)にはしばしば動詞の後ろや文末に「子(仔)」が付いた例が見られる。このような「子(仔)」について、先行研究は以下のように指摘している。
 「子(仔)」は「呉語」の助詞のマーカーである。具体的には、朱徳煕(1985)と張恵英(1986)が挙げられる。『简明吴方言词典』『吴方言词典』『明清吴语词典』では、「子(仔)」を助詞として扱い、現代中国語の動態助詞「了」と「着」に相当すると記述している。また、地蔵堂(2002)は、「子」の使用は「呉語」地域だけではなく、明末清初の時、山東方言区にも用いられていたと推定している。李申(1992)は『金瓶梅』の中の「子」の例を挙げ、今の魯西地区でも動詞の後ろに「子」をつける用法があると指摘している。马凤如(2001)も山東西南部に「子」と「着」の混同が見られると指摘している。また、「子」は、「了」と極めて似ているため、「了」の誤刻ではないかと思われることがある。しかし、朱徳煕(1985)と地蔵堂(2000)が述べたように、「了」を「子」に誤刻する可能性は低い。
 本発表では明清の白話小説の影印版資料を対象として「子(仔)」の用例を収集し、本当に誤刻ではないのか、動態助詞としての用法が見られる資料と見られない資料の違いは何か、を論じたい。
 これらの資料を選択した理由としては、まず、先行研究において、すでにこのような「子(仔)」が見られていると指摘されていることがあるからである。例えば、いわゆる「呉語小説」の『拍案驚奇』などや、それ以外の『醒世姻縁伝』や『儒林外史』などである。先行研究に言及されていない作品も、比較のためいくつか選択する。そして、明代と清代の間に変化が見られるかどうかを確認するため、各時代それぞれ数作品を選んで調査する。


2) 蔡娟(大東文化大学) (10:45~11:30)
「『朱子語類』における“不见得”と“见不得”」

 南宋の理学家語録である『朱子語類』では、可能補語構造“见得”(「見える」、「理解できる」の義)の否定形式は“不见得”、“未见得”、“见不得”、“见未得”、“不曾见得”、“未曾见得”など6種類が見られる。そのうち、“未见得”、“见未得”、“不曾见得”、“未曾见得”の4形式は現代中国語の“普通话”では受け継がれておらず、これらの表現形式は長い生命力を持たなかったことを示唆している。“不见得”と“见不得”は現代語に継承されたが、“不见得”は副詞的修飾語として用いられ、“见不得”は動詞の補語構造であり、現代語での用法と意味は近世語の『朱子語類』とは大いに異なる。本発表では、『朱子語類』に見られる“不见得”と“见不得”を取り上げ、具体的な用例をあげながら、それらの使用頻度及び構造上・意味上の特徴を考察する。また、現代語を参照しつつ、『朱子語類』における“不见得”と“见不得”の現代語との違いを分析してみたい。


3) 荒木典子(首都大学東京) (11:30~12:15)
「満文金瓶梅に反映される明代の漢語文法」

 『金瓶梅詞話』及びその改訂本は、白話の表現形式が成熟し、語彙、語法ともに充実した明代に成立した。この作品(改訂本を底本とすると考えられている)の翻訳版「満文金瓶梅」は、明代白話の多彩な表現をどのように表しているのだろうか。原作は成語や歇後語が多く用いられている他、語法形式も豊富になり、似たような意味が複数の形式によって表されている。寺村政男(1994)「満州旗人による近世漢語の繙譯の実態―金瓶梅と西廂記を中心に」(『中國語學』241:39-48)では歇後語の問題に焦点を当て、満洲族の漢語理解度を検討している。本発表では文法の訳し分け方に注目し、翻訳が完成した当時の虚化の程度や満洲族の小説の読み方を検討する。
例えば、『金瓶梅』では過去・已然の事に対する疑問「~したのか?」を表す形式として“~不曾?”と“~沒有?”が併存している。これらは例えば以下のように翻訳されている。
姐,爹起來了不曾? 〔第30回〕
ejen ilihao, undeo? (主人は起き上がったか、まだか)

哥的手本劄付下了不曾?  〔第31回〕
 agu -i xeoben, jafu bithe be benebuheo, undeo? (兄さんの手形を送ったか、まだか)

 你灌了他些姜湯兒沒有?  〔第19回〕
 u-jiyei giyang ni muke majige omibuhao? (五姐さん、生姜の水を少し飲ませたの)

 原娶過妻小來沒有?   〔第91回〕
 daci sargan gaiha biheo? (もともと奥さんを娶ったことはありますか)

お昼休み(12:15~13:20)

ワークショップ「官話音研究の資料と問題点」

 2011年度の研究集会において行ったワークショップ「官話の虚像と実像」では、主に語彙語法の面から「官話」の問題を検討しましたが、今回は音韻面からアプローチすべく、「官話音研究の資料と問題点」を企画しました。明清代の官話音研究にどういう資料があり、現在どのような点が議論になっているかということを、いくつかのトピックを立てて紹介していただきますので、音韻と語彙語法ではどのように研究手法が異なるか、両者はいかにして補い合い、総合的な理解に近づくべきかについて、会員諸氏の共通認識が深められればと思います。自由討論の時間を多くとりますので、同様の問題意識を持つ方や関連領域に関心のある方の参加を歓迎します。(司会:竹越孝)

1)太田斎(神戸市外国語大学) (13:20~14:00)
「近世音資料の可能性−華夷訳語、西儒耳目資を例に−」

 近世音資料の音韻特徴を研究する場合、現代音からアプローチしてもある程度の成果を出せるが、その一方で守旧的な面があり、音韻学の知識無しには判断を誤る所もある。
 王朝交代当初、特に漢族文化の担い手ではない支配者の王朝にあっては、かなり口語的な特徴が文献に顔を出すことがあるが、社会が安定すると、文言的様相が色濃くなり、過去の文献からの引用が盛り込まれて、時代を逆行するかのように古い特徴が出現することもある。例えば元の『中原音韻』に比して、後の明代に編まれた『中州音韻』等の改訂版は江南読書音を盛り込んで、恰も『中原音韻』より古い音韻体系を示すかの如くである。
 今回は私が以前、官話系方言の資料として扱った華夷訳語、特に西番(館)訳語と西儒耳目資を例に、そこに現われている特徴の一部は守旧的要因が齎したもので、必ずしも直ちに当時の音韻特徴と見做すことはできないこと、そしてそのような要素を排除して残る、方言的特徴と見做し得る要素がどのようなものかを併せて紹介したい。

2) 千葉謙悟(中央大学) (14:00~14:40)
「欧文資料と官話音研究−意義・現状・課題−」

 本発表は三つの部分より成る。第一に、16~20世紀にかけて蓄積された欧文資料を概観する。官話音に関する資料を中心とするが、それ以外の資料にも適宜触れる。第二に、近世音研究の状況を紹介した後、欧文資料が重要な鍵を握っているとみなされるトピックについて紹介する。例えば17~18世紀における止摂日母三等字(「二」「而」など)の音価、19世紀における南京・北京官話の音韻体系上の差異、同時期における喩母三四等字(「栄」「容」など)の声母の音価などである。最後に、官話音研究に欧文資料を用いる際の問題点を指摘する。すなわち当該資料の記録対象を吟味すべきこと、資料において作者自身による作例が出現しうること、作者の中国語力に疑問があることなどが挙げられる。以上を踏まえ、欧文資料が大量に発見され公開されている現状は喜ばしいことだが、今後は研究に足る資料を評価・選別していく作業が必要といえるだろう。

3) 鋤田智彦(早稲田大学・非) (14:40~15:20)
「朝鮮・満洲資料から見た中国北方語音」

 朝鮮資料のうち音韻に関する資料としては、15世紀半ばの訓民正音(ハングル)制定以降、それにより中国語音を表記したものが中心となる。そのうちでも文法、語彙方面の研究においても重要な役割を果たす老乞大・朴通事は音韻研究の上でも通時的な変化を反映した資料として貴重なものと言える。例えば現代北京語でerと発音される「児」「二」などの字は古い版本では他の字と同様に母音終わりで、新しい版本ではl終わりで表記される。このような違いはその間の変化をとらえたものである。また、数少ない声調に関する記録も一部に残る点が注目される。同様に満洲資料も当時の中国北方語音を反映しており、時期は17世紀半ば以降と限定されるが資料や時期により表記法の違いが見られ興味深い。近世語音における大きな論点である尖団音の合流に関する点をはじめ、他にも入声由来字や個別的に例外的な読音を持つ字がどのように綴られているかなど、注目すべき点は多い。
休憩(15:20~15:30)
全体討論(15:30~16:30)

*発表者の方へ
レジュメは各自でご用意お願いいたします。